東京高等裁判所 平成9年(行ケ)200号 判決
アメリカ合衆国
10504ニューヨーク州アーモンク無番地
原告
インターナショナル・ビジネス・マシーンズ・コーポレーション
代表者
ジェフレイ・エル・フォマン
訴訟代理人弁理士
市位嘉宏
坂口博
山本仁朗
徳田信弥
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 伊佐山建志
指定代理人
松本悟
後藤千恵子
小池隆
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための付加期間を30日と定める。
事実及び理由
第1 原告の求めた裁判
「特許庁が平成4年審判第10404号事件について平成9年3月28日にした補正の却下の決定を取り消す。」との判決。
第2 事案の概要
1 特許庁における手続の経緯
原告は、スイス国及びアメリカ合衆国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和63年1月20日「超伝導物質」なる発明(平成3年10月18日付け手続補正書により、発明の名称を「超電導物質及び超電導装置」と補正)について特許出願(昭和63年特許願第8598号)をしたが、平成4年3月10日拒絶査定があったので、同年6月8日審判を請求し(平成4年審判第10404号)、同年7月8日特許請求の範囲の補正を含む手続補正書(本件補正書)を提出したが、平成9年3月28日「平成4年7月8日付けの手続補正を却下する。」との決定があり、その謄本は同年4月16日原告に送達された。
2 本願発明の特許請求の範囲の記載
2-1 出願当初の明細書の特許請求の範囲第1項の記載
「組成RE2-xAExTM1O4-yを有し(但しREは1つ以上の希土類元素、AEは1つ以上のアルカリ土元素、そしてTMは遷移金属)、x≦0.3且つy≦0.5である超伝導物質。」
2-2 本件補正書の特許請求の範囲第1項の記載
「超伝導体を実質的に反磁性状態に保ちつつ実質的に電気的抵抗による損失なしに電流を伝導する方法であって、
(a) 実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし、電気抵抗率が低下し始める超伝導オンセット温度によって上限が画され、電気抵抗率が実質的にゼロになるゼロ抵抗率温度によって下限が画される温度範囲で、電気的に常伝導状態から超伝導状態に遷移し、該超伝導オンセット温度は26Kより高い温度であり、さらに常磁性状態から反磁性状態へ遷移する反磁性へのクロスオーバー温度を有し、該反磁性へのクロスオーバー温度は、上記超伝導オンセット温度より低いことを特徴とする組成物からなる超伝導体を準備し、
(b) 上記超伝導体を上記ゼロ抵抗率温度より低く、且つ上記反磁性へのクロスオーバー温度より低い温度に保って、上記組成物を、電気抵抗率が実質的にゼロであり、且つ反磁性を示す状態に保ち、
(c) 上記超伝導体中に、電流を生じさせる
ことを特徴とする方法。」
3 補正却下決定の理由の要点
本件補正書により補正された特許請求の範囲に記載された、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし」、「超伝導オンセット温度は26Kより高い温度であり」かつ「反磁性へのクロスオーバー温度は、上記超伝導オンセット温度よりも低い」点は、以下のとおり、願書に最初に添付された明細書又は図面(以下「出願当初の明細書等」という。)に記載されておらず、かつ、出願当初の明細書等の記載からみて自明のこととも認められない。
出願当初の明細書等には、以下の記載がある。
<1> 「組成RE2-xAExTM1O4-yを有し(但しREは1つ以上の希土類元素、AEは1つ以上のアルカリ土元素、そしてTMは遷移金属)、x≦0.3且つy≦0.5である超伝導物質」(特許請求の範囲第1項)
<2> 「希土類又は希土類類似元素、及びアルカリ土元素を含む銅酸化物系は、26Kよりも高いTcを示す超伝導性の層状銅酸化物の一般的なクラスの唯一の例である。」(6頁18行~7頁1行)
<3> 「本発明は、弗化カリウム・ニッケルK2NiF4から知られる種類の層構造を有する物質を使用する事を提案する。この構造は特に、一般的組成RE2TMO4を有する酸化物に存在する。但しREは希土類を表わし、TMはいわゆる遷移金属を表わす。問題の化合物において、RE部分がアルカリ土金属の1メンバー又はアルカリ土のメンバーの組み合せによって部分的に置換され、且つ酸素含有量に欠損のある事が本発明の特徴である。」(7頁2~11行)
<4> 「本発明に関連して行なわれた実験は、希土類が、同じⅡA族の元素の他のメンバー即ち他のアルカリ土金属の1つ以上のものによって部分的に置換された化合物において高Tcの超伝導が存在する事を明らかにした。実際、Sr2+を含むLa2CuO4-yのTcはBa2+及びCa2+を含むもので見い出されているよりも高く、且つその超伝導による反磁性はより強い。」(10頁19行~11頁6行)
<5> 「一般に、Ba-La-Cu-O系は、……X線解析を行なうと、3つの異なった結晶学的相を示す。即ち、
-K2NiF4構造に関連した、層状ペロブスカイト様の第1の相。一般的組成La2-xBaxCuO4-yを有する。但しx<1及びy≧0。
-第2の、非伝導性のCuO相
-第3の、一般的組成La1-xBaxCuO3-yの近立方ペロブスカイト相。その量は正確な出発点の組成に無関係であるらしい。
これら3つの相のうち第1のものが高Tc超伝導の原因であると思われる。その臨界温度はその相の中のバリウム濃度に対する依存性を示す。」(12頁18行~13頁14行)
<6> 「出発組成物において2:1という(Ba、La)対Cuの比を用いて超伝導の原因と考えられたLa2CuO4:Baの組成をまねると、CuO相は存在せず、2つの相だけが生じた。バリウム含有量がX=0.15の場合、Tc=26Kで抵抗率の低下が生じた。」(16頁14~19行)
<7> 「Ca及びBa化合物に関してそれぞれ22±2K及び33±2Kで超伝導の開始を示す。Sr化合物の場合、40K±1Kの抵抗率の低下に至るまで、抵抗率は金属的なままである。」(21頁19行~22頁2行)
<8> 「Sr2+及びCa2+をドープしたLa2CuO4-yセラミックの抵抗率及び磁化率の、温度の関数としての測定は、Ba2+をドープしたサンプルと同じ一般的傾向を示した。即ち/抵抗率ρ(T)の低下及び少し低い温度での反磁性へのクロスオーバーである。Sr2+を含むサンプルは実際、Ba2+及びCa2+を含むものよりも高い超伝導の開始を示した。さらに、反磁性磁化率はBaサンプルの約3倍であった。」(23頁16行~24頁4行)
<9> 「調査したドーパント・イオンの各々に関して最高のTcは、室温でRE2-xAExTMO4-y構造が斜方晶系-正方晶系の構造相転移に近いような、濃度で起きる。これは置換により電子-フォノン相互作用がかなり強くなる事に関係しているかもしれない。希土類金属をアルカリ土金属で置換する事は明らかに重要であり、eg Jahn-Teller軌道の存在しないTMイオンを形成するものと思われる。従って、フェルミ・エネルギー付近におけるこれらのJahn-Teller軌道の欠如即ちJahn-Tellerホールは、おそらく、Tcの上昇に重要な役割を演じている。」(24頁9~20行)
以上の記載からみると、出願当初の明細書等において、「超伝導オンセット温度は26Kより高い温度であり」かつ「反磁性へのクロスオーバー温度は上記超伝導オンセット温度よりも低い」超伝導物質として記載されているのは、層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす希土類元素(RE)を含む銅酸化物で希土類元素の一部をアルカリ土元素(AE)で置換した組成RE2-xAExCuO4-yを有するもののみであり、上記以外の銅酸化物については全く記載されておらず、また、上記以外の銅酸化物であって層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなすものが、上記の特性を有する超伝導物質であることが本件出願時に自明であったとも認められないから、上記の補正は、出願当初の明細書等に記載した組成RE2-xAExTM4-y(TMは遷移金属であるCu)を有する超伝導物質を、出願当初の明細書等に記載した事項の範囲内でない「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分」とする超伝導物質に変更するものであると認める。
したがって、上記の補正は、明細書の要旨を変更するものであるから、特許法159条1項において準用する同法53条1項の規定により却下すべきものである。
第3 原告主張の補正却下決定の取消事由
1 以下に主張するとおり、補正却下決定は、本件補正が明細書の要旨を変更するものであると誤って認定、判断したものであるから、取り消されるべきである。
2 出願当初の本願明細書の発明の詳細な説明には、実施例的な「物」の発明に加え、その発明の基礎となる包括的概念が、次のとおり記載されている(以下、「記載(1)」などと括弧付数字をもって表すときは、ここにおける記載を指す。)。
(1) 「D.問題点を解決するための手段
本発明は、従来知られている超伝導物質で得られるよりも高い温度で超伝導性を示す新規な物質、及びそれらの物質を製造し使用する方法に関する。これらの物質は26Kよりも高い温度で超伝導電流(即ち、その化合物の事実上ゼロ抵抗状態での電流)を伝えることがてきる。一般に、この物質は、遷移金属酸化物が多原子価の振舞いを示し得るような混合遷移金属酸化物系として特徴付けられる。それらの化合物は、しばしばペロブスカイト型の、層状の結晶構造を有し、希土類又は希土類類似の元素を含み得る。」(4頁2行ないし13行)
(2) 「適当な遷移金属の特に良い例は銅である。後に明らかになるように、銅酸化物をベースにした系は高Tc超伝導体として独特且つ優れた性質を与える。
高Tcを有する超伝導物質の一例は、式RE-TM-Oによって表現される物質である。」(5頁5行ないし10行)
(3) 「従って、本発明は広くは、26K以上の温度で超伝導の振舞いを示す層状構造を有する混合(ドープ)遷移金属酸化物に関する。これらの物質のうち、多原子価状態を有する混合銅酸化物が高いTcと良好な超伝導特性を提供する。」(26頁13行ないし18行)
3 補正却下決定が認定した出願当初の明細書等の<1>~<9>の記載(以下、「記載<1>」などと丸囲いの数字をもって表すときは、補正却下決定認定の記載を指す。)は、高Tcを有する超伝導物質(包括的概念)の一例である、式「RE-TM-O」の超伝導物質における26Kより高い超伝導オンセット温度を有する多原子価状態の混合銅酸化物系超伝導物質(実施例)に係る例示的な記載である。
確かに、記載(1)~(3)には、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし、超伝導オンセット温度が26Kより高い温度であり、かつ、反磁性へのクロスオーバー温度が上記超伝導オンセット温度よりも低い超伝導物質」に関する文言上の記載はない。しかしながら、上記包括的概念は、超伝導物質が、26K以上の高Tc温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含有しても含有しなくてもよい多原子価状態の遷移金属酸化物系”であること、及び、この遷移金属酸化物系の中でも、多原子価状態の混合銅酸化物系が、高いTc及び良好な超伝導特性を有すること、を示すので、記載(1)~(3)及び記載<1>~<9>に基づき、出願当初の明細書等に、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし、超伝導オンセット温度が26Kより高い」との特性(以下「特性(イ)」という。)を有する銅酸化物系超伝導物質が記載されているということができる。
さらに、記載<8>には、Sr、Ca又はBaをドープしたLa含有の銅酸化物系超伝導物質が、「26K以上の超伝導オンセット温度及び該温度よりも低い反磁性クロスオーバー温度を有する」との特性(以下「特性(ロ)」という。)を有することが記載されていて、しかも、当該特性(ロ)は、希土類元素含有型又はアルカリ土類置換希土類元素含有型の銅酸化物系超伝導物質に固有のものであって、それ以外の型の銅酸化物系超伝導物質にはないものであるとの記載・示唆はないから、特性(ロ)は、銅酸化物系超伝導物質の1つの要件として教示される。
そして、特性(イ)及び(ロ)は、補正却下決定が指摘した3つの要件、すなわち、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし」、「超伝導オンセット温度は26Kより高い温度であり」、及び、「反磁性へのクロスオーバー温度は、上記超伝導オンセット温度よりも低い」に合致する。
4 「式RE-TM-Oによって表現される物質」は、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明に対応するものであるが、これは、記載(1)で教示する包括的概念で表される超伝導物質の一例にすぎない。
記載(1)は包括的概念による超伝導物質を教示するものであり、出願当初の明細書等には、そこに記載された特許請求の範囲の発明を裏付ける説明が記載されていて、当該特許請求の範囲における式によるもののほかに例示的な物質の記載がないとしても、このことは、上記のような包括的概念による超伝導物質を制限的に解釈する合理的理由にはならない。
被告は、「決定摘示の記載<8>における「抵抗率ρ(T)の低下及び少し低い温度での反磁性へのクロスオーバー温度」との記載は、希土類元素を含有しない「それ以外の型の銅酸化物系超伝導物質」には当てはまらない」旨主張するが、本件補正後の特許請求の範囲における1つの要件に該当する層状ペロブスカイト型結晶構造の銅酸化物系超伝導物質の一例が、「式RE-TM-Oによって表現される物質」であり、これが、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明に対応する発明である。しかも、反磁性へのクロスオーバー温度が超伝導電流のオンセット温度よりも低いという特性は、主として、銅酸化物系超伝導物質中における混晶の存在に原因するもので、特定組成に固有のものでもないから、記載<8>における「反磁性へのクロスオーバー温度」に係る記載が、銅酸化物系超伝導物質一般に当てはまることをうかがい知ることができる。
したがって、本件補正書に記載された補正却下決定指摘の3つの要件、すなわち、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし」、「超伝導オンセット温度は26Kより高い温度であり」、及び、「反磁性へのクロスオーバー温度は、上記超伝導オンセット温度よりも低い」という3要件は、出願当初の明細書等に教示されている。
5 被告は、「記載(1)は、26Kよりも高い温度で超伝導電流を伝えることができる特定構造・特性の超伝導物質に言及するものではない」旨主張するが、出願当初の明細書における発明の詳細な説明の随所で、銅が、遷移金属の良好な例として挙げていること、及び、銅により代表される遷移金属が、ペロブスカイト型結晶構造の金属原子(すなわち、主成分金属原子)であること、にかんがみると、記載(1)は、26Kよりも高い温度で超伝導性を示す銅酸化物系超伝導物質が有する特定構造・特徴を包括的に教示するといえるのであり、被告の主張は理由がない。
また、被告は、「式RE-TM-Oによって表現される物質」は、単なる例示ではなく、出願当初の明細書等に記載された発明、すなわち、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明に対応するものであり、かつ、出願当初の明細書等に、この一例以外に、包括的概念の技術的思想は示されていない旨主張するが、記載(1)が包括的概念の超伝導物質を記載するものであることを勘案すれば、記載(2)における「式RE-TM-Oによって表現される物質」が、この包括的概念の一例に該当することは明らかであり、被告の主張は失当である。
被告の主張は、出願当初の明細書等に、希土類又は希土類類似の元素を含まない銅酸化物系超伝導物質は記載されていないがゆえに、記載(1)における「希土類又は希土類類似の元素を含み得る」の記載は、実質的には、文言どおり、「希土類又は希土類類似の元素を含む」という意味であるとの前提に立つが、この前提は、包括概念のペロブスカイト型結晶構造のK元素を、実施例記載の「希土類又は希土類類似の元素」に限定するものであり、包括概念の超伝導物質を教示する記載(1)~(3)に照らし不当である。
第4 決定取消事由に対する被告の反論
1 記載(1)における「一般に」、「しばしば」、「含み得る」等の表現からすると、記載(1)は、超伝導性を示す新規な物質を一般論として述べるものである。また、記載(1)には、ペロブスカイト型層状構造の遷移金属酸化物として銅酸化物を主成分とするものはないから、記載(1)は、26Kよりも高い温度で超伝導電流を伝えることができる特定構造・特性の超伝導物質に言及するものではない。
記載(2)は、そこにおける「後で明らかになるように」からも明らかなように、「銅酸化物をベースにした系」が高Tc超伝導体であることを開示するものではない。また、「銅酸化物をベースにした系」が、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物」であることは記載されていない。記載(2)には、「高Tcを有する超伝導物質の一例は、式RE-TM-Oによって表現される物質である。」とあるが、「式RE-TM-Oによって表現される物質」は、単なる例示ではなく、出願当初の明細書等に記載された発明、すなわち、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明に対応するものであり、かつ、出願当初の明細書等には、この一例以外に、包括的概念の技術思想は示されていない。
記載(3)には、「超伝導オンセット温度」、「反磁性へのクロスオーバー温度」等に係る具体的な記載はなく、また、「多原子価状態を有する混合銅酸化物」が、「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物」であるとは記載されていない。
したがって、記載(1)~(3)に基づき、出願当初の明細書等に、本件補正後の特許請求の範囲に記載された「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし」、「超伝導オンセット温度は26Kよりも高い温度であり」、かつ、「反磁性へのクロスオーバー温度は、上記超伝導オンセット温度より低い」超伝導物質が開示されているということはできない。
2 「式RE-TM-Oによって表現される物質」は、「高Tcを有する超伝導物質の一例」であるが、出願当初の明細書等には、「式RE-TM-Oによって表現される物質」以外に、高Tcを有する超伝導物質、すなわち、「26Kよりも高い温度で超伝導電流を伝えることができる」超伝導物質は記載されていないから、「式RE-TM-Oによって表現される物質」は、単なる例示ではなく、出願当初の明細書等に記載された発明、すなわち、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明に対応するものというべきである(すなわち、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明=出願当初の明細書等に記載された発明=式RE-TM-Oによって表現される物質の関係にある。)。
記載<8>は、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明、すなわち「組成RE2-xAExTM1O4-yを有し(但しREは1つ以上の希土類元素、AEは1つ以上のアルカリ土元素、そしてTMは遷移金属)、x≦0.3且つy≦0.5である超伝導物質。」の実施例(REとしてLaを、AEとしてSr、Ca又はBaを、TMとしてCuを採用したもの)に相当するものであって、出願当初の明細書等の特許請求の範囲に記載された発明と関係のない、一般的な銅酸化物系超伝導物質の実施例として記載されたものではない。
それゆえ、記載<8>における「抵抗率ρ(T)の低下及び少し低い温度での反磁性へのクロスオーバー」との記載は、出願当初の明細書等の特許請求の範囲の記載からみて、Laのみでなく、他の希土類元素を含有する超伝導物質にも当てはまるが、希土類元素を含有しない「それ以外の型の銅酸化物系超伝導物質」には当てはまらない。
したがって、本件補正後の特許請求の範囲に記載された「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし」、「超伝導オンセット温度は26Kより高い温度であり」かつ「反磁性へのクロスオーバー温度は、上記超伝導オンセット温度より低い」との点は、出願当初の明細書等の記載から自明のことではない。
3 そして、出願当初の明細書等に、遷移金属の良好な例として銅が挙げられているが、希土類又は希土類類似の元素を含まない銅酸化物系超伝導物質は記載されていないことからすれば、記載(1)中の「希土類又は希土類類似の元素を含み得る」の記載は、希土類又は希土類類似の元素を含んでも含まなくてもよいことを意味するものではなく、実質的には、文言どおり、「希土類又は希土類類似の元素を含む」という意味であるから、出願当初の明細書等に記載された発明は、「希土類又は希土類類似の元素を含む銅酸化物系超伝導物質」の発明である。
このことは、希土類元素を含む銅酸化物系超伝導物質に係る多数の出願が、いずれも、その明細書(乙第2号証(平4-17909特許公報)、乙第3号証(特許第2691360号特許公報)、乙第4号証(特公平7-121805号特許公報)及び乙第5号証(特公平7-115919号特許公報))中で、本願発明の発明者のうちの二人、J.G.Bednorz and K.A.Mullerの研究論文である“Possible High Tc Superconductivity in the Ba-La-Cu-O System”(「Ba-La-Cu-O系における可能性のある高いTcの超伝導体」、Condensed Matter vol.64 P.189-193(1986)所収。乙第1号証)記載の超伝導物質を、“Ba-La-Cu-O系”(バリウムーランタン-銅-酸素系)の超伝導酸化物として引用していることからも裏付けられる。
記載(1)には、包括的概念の超伝導物質は記載されていないのであり、記載(2)中の「式RE-TM-Oによって表現される物質」は、包括的概念の超伝導物質の一例ではなく、出願当初の明細書等に記載された本願発明の超伝導物質そのものである。
第5 当裁判所の判断
1 本件補正前の本願発明の特許請求の範囲では、組成式が、「RE2-xAExTM1O4-y」と規定されており(ただし、x≦0.3かつy≦0.5)、この組成式によれば、本願発明は、本件補正前においては、希土類元素(RE)を必須成分とし、かつ、アルカリ土元素(AE)を任意成分とするものであったところ、本件補正後におけるものでは、構成成分が、組成式によってではなく、概念的に「実質的に層状ペロブスカイト様の結晶構造を持つ単一の結晶学的相をなす銅酸化物を主成分とし」と規定されているのみであるから、組成上、銅酸化物を主成分とすれば足りるものとなっている。すなわち、本件補正後の本願発明の超伝導体は、希土類元素を構成成分としない超伝導体(x=2の場合のAE2TM1O4-y)をも包含することになったものである。
このことは、本件補正によって、本願発明が規定する超伝導体が、組成式RE2-xAExTM1O4-y中の遷移金属(TM)が、銅(Cu)に限定される一方、組成式RE2-xAExTM1O4-y中の「RE2-xAEx」は、その成分において、x≦0.3からx≦2とされ、希土類元素(RE)は、含んでも含まなくてもよい任意成分と規定されるに至った(x=2の場合のAE2TM1O4-yをも包含する。)ということであり、以下においては、この観点から本件補正の可否を判断する。
2 甲第1号証(本件願書)によれば、本願発明の出願当初の明細書等に原告主張の記載(1)~(3)があることが認められる。
この記載(1)によれば、出願当初の明細書等において、従来の超伝導物質よりも高い温度で超伝導性を示すという問題点解決のための超伝導物質は、遷移金属酸化物が多原子価の振舞いを示し得るような混合遷移金属酸化物系の中でも、ペロブスカイト型の層状結晶構造を有し、希土類元素又は希土類類似元素を含み得るものであると認識されていたことが認められる。
しかしながら、記載(1)は、上記問題点を解決する超伝導物質の前提となる包括的概念を提示するものであるが、このような包括的概念の提示が、直ちに、発明の提示になるものではない。記載(1)においては、遷移金属酸化物は具体的な遷移金属元素をもって特定されておらず、したがって、記載(1)で、問題点を解決する超伝導物質として、特定の成分組成から成るペロブスカイト型層状結晶構造の混合遷移金属酸化物が提示されているものとは認められないというべきである。
3 ところで、上記包括的概念を前堤とし、記載(2)、(3)を勘案すれば、出願当初の明細書等において、問題点を解決する超伝導物質は、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含み得る混合銅酸化物”であり、なかでも、その一例は、「式RE-TM-Oによって表現される物質」、すなわち、ペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素(RE)を含む混合銅酸化物”であると認識されていたことが認められる。そうすると、出願当初の明細書等においては、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含まない混合銅酸化物”、及び、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含む混合銅酸化物”が、問題点を解決する超伝導物質として認識されているところ、特に、上記“希土類元素又は希土類類似元素を含む混合銅酸化物”が、強く認識されていたことが認められる。
そして、甲第1号証によれば、出願当初の明細書等には補正却下決定が摘示した<1>ないし<9>の記載のあることが認められ、この記載<1>~<9>が、「式RE-TM-Oによって表現される物質」に係るものであることは明らかである。また、甲第1号証によれば、出願当初の本願図面第2~第4図(本判決別紙図面)には、BaxLa5-xCu5O5(3-y)について、周知の4点法で測定した“抵抗率ρ(Ω-cm)の低温依存性”が示されていることが認められ、これらの図面によれば、BaxLa5-xCu5O5(3-y)で示されるBa-La-Cu-O化合物中には、確かに、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造のLa2-xCuxO4-yが存在するものということができる。このことからすると、出願当初の明細書等には、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含む混合銅酸化物”が、問題点を解決する超伝導物質の発明として、実質的に開示されていたということができる。
しかしながら、甲第1号証によれば、出願当初の明細書等には、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含まない混合銅酸化物”について、“記載<1>~<9>に対応する記載”はなく、また、このような混合銅酸化物についての“抵抗率ρ(Ω-cm)の低温依存性”の図示もないことが認められる。
4 超伝導物質は、ある一定温度(転移温度。通常、極低温域の温度)以下で電気抵抗がゼロになり、かつ、磁性が完全反磁性になるという特殊な現象を呈する物質であるが、銅酸化物系の超伝導物質において、当該現象が、ペロブスカイト型層状結晶構造と銅の多原子価(混合原子価)状態によるものであることからすれば、成分の置換・添加、組成の偏差、酸素欠損量の増減等が、銅の多原子価(混合原子価)状態に影響を及ぼし、その結果、伝導機構を変容せしめ、転移温度(Tc)を変化せしめたり、又は、超伝導現象を消失せしめたりすることは当然に想定されることである。したがって、所要の成分組成から成る銅酸化物系の物質において、結晶構造がペロブスカイト型層状結晶構造であることから、超伝導現象の発現が予測され得るということができるにしても、当該物質をもって超伝導物質であるとするためには、上記物質が、上記所要の成分組成において、確かに超伝導現象を呈することを、実験的に確認する必要があるものというべきである。
そして、前記認定のとおり、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含まない混合銅酸化物”が超伝導現象を呈することを確認した旨の記載又はこれをうかがわせる図示が、出願当初の明細書等にない以上、超伝導物質の一候補として認識される程度にとどまり、上記のような混合酸化物は出願当初の明細書等に開示されているものと認めることはできない。ペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含む混合銅酸化物”に係る記載<1>~<9>が示唆する技術的事項も、そのような混合銅酸化物に限られ、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含まない混合銅酸化物”は、超伝導物質の一候補として認識されているにとどまるといわざるを得ない。
以上のとおりであり、出願当初の明細書等に、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含まない混合銅酸化物”は、前記のような問題点を解決する超伝導物質の発明として、実質的にも開示されているものとは認められない。
5 なお、原告は、記載<8>には、Sr、Ca又はBaをドープしたLa含有の銅酸化物系超伝導物質が、「26K以上の超伝導オンセット温度及び該温度よりも低い反磁性クロスオーバー温度を有する」との特性(ロ)を有することが記載されていて、しかも、当該特性(ロ)が、希土類元素含有型又はアルカリ土類置換希土類元素含有型の銅酸化物系超伝導物質に固有のものであって、それ以外の型の銅酸化物系超伝導物質にはないものであるとする記載・示唆はないから、上記特性(ロ)は、銅酸化物系超伝導物質の1つの要件として教示されるものである旨主張するが、上記の説示に照らして採用し難く、その主張は理由がない。
6 以上のとおりであるから、出願当初の明細書等には、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含む混合銅酸化物”が、問題点を解決する超伝導物質の発明として、実質的に開示されているものの、26K以上の温度で超伝導を示すペロブスカイト型層状結晶構造の“希土類元素又は希土類類似元素を含まない混合銅酸化物”は、問題点を解決する超伝導物質の発明として、実質的にも開示されているものということはできない。
したがって、本件補正後の本願発明の超伝導体は、出願当初の明細書等に開示されていない超伝導体を包含するものであるから、出願当初の明細書等においては、自明の超伝導体として認識することができないというべきであり、本件補正は明細書の要旨を変更するものであるとした補正却下決定の認定、判断に誤りはない。
第6 結論
以上のとおり、原告主張の決定取消事由は理由がないことに帰するので、原告の請求は棄却されるべきである。
(平成11年4月22日口頭弁論終結)
(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)
別紙図面
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